おとしだま袋をつくってみた
ふふふふふ、やっと完成した
お手製ぽちぶくろ
でも、まだ印刷・組み立てもしてなかったりして
ていうかPDFってアップできるのかしら
うむ、なかなかのできばえ
イラストレーターの才能があるのかもしれない
くっくっく
ふふふふふ、やっと完成した
お手製ぽちぶくろ
でも、まだ印刷・組み立てもしてなかったりして
ていうかPDFってアップできるのかしら
うむ、なかなかのできばえ
イラストレーターの才能があるのかもしれない
くっくっく
今までいろいろ触ってきました。
Zaurus PI-4000、WorkPad c3 40J、Palm Vx、PalmComputing m505、CLIE PEG-T650C、Zaurus SL-C760、W-ZERO3[es]、Advanced/W-ZERO3[es]。
ネットで検索すると私より全然多くのPDA類を所有している人もいますが、私は一つのものを長く使い込むタイプなので数としては多くありません。
PI-4000は大学時代に使っていました。
通信などは行わず、単なる電子手帳でした。
WorkPadやPalmはドコモのNM502iと組み合わせて使っていました。
NM502iは赤外線(IrDA)ポートがついており、赤外線経由でのモデムとして利用できたのです。
他の携帯でも赤外線ポートがついているものはありましたが、IrMCだったので赤外線経由のモデムとしては利用できなかったのです。
おそらくこの頃が一番熱かった時期です。
PalmOSはOSもアプリも軽く起動待ちがほとんどないため、常にどこにでも持ち歩いて使っていました。
財布を忘れてもPalmは持ってる…なんてことはざらでした。
Graffiti文字は最初こそ戸惑いましたが、慣れてくるとこれほど便利な入力方法はなく、紙にメモを取るときにさえGraffiti文字を書いてしまうことがありました。
SL-C760はOSがLinuxです。
意味もなくapache、PHPやMySQLを動かしてPDAなのにウェブサーバになってました。
現在はtakekenの元で活躍しています。
SL-C760のときにCFのAirH”を使っていたのですが、これを機種変してW-ZERO3[es]にしました。
携帯電話は別に持っているので、通信モジュールつきのPDAという扱いです。
esを発売日に購入してほぼ1年、adesへの浮気心が芽生えた頃、液晶が割れてしまいました。
ades購入への後押しをしてくれたものと信じています。
PDAは標準で使うのもいいですが、カスタマイズして自分好みの設定になってくると手放せなくなります。
そういうわけで、adesをいじくっていて見つけた情報をここに載っけます。
[設定]の中にあるアイコン類を起動するショートカットの作成です。
GSFinderなどで”Windowsctlpnl.exe”のショートカットを好きなところに作成します。
プロパティを開き、ショートカットのリンク先を以下のように記述します。
“Windowsctlpnl.exe” Windowscplmain.cpl,数字
引数で渡す数字によっていろんなものが起動します。
数字:
1:パスワード
2:オーナー情報
3:パワーマネージメント
4:メモリ
5:バージョン情報
6:バックライト
7:画面
8:入力
9:音と通知
10:プログラムの削除
11:メニュー
12:ボタン
13:Today
14:なし?
15:ビーム
16:時計とアラーム
17:ネットワークアダプタの構成
18:地域
19:接続
20:なし?
21:なし?
22:証明書の管理
23:なし?
24:エラー報告
25:GPS設定
26:無線ON/OFF
27:なし?(一瞬設定のウィンドウが表示されるがすぐ消える)
28:なし?
29:カスタマフィードバック
30:なし?
31:なし?
32:なし?
33:なし?
ひょっとしたら34以降も何かあるかもしれません。
WindowsMobileをお使いの方はいろいろ試してみてください。
ジングルベル♪ジングルベル♪鈴が鳴る〜♪
世間はクリスマス一色ですね。
そんななか、インフルエンザにかかってしまい、
クリスマスをベッドの中で高熱と格闘しながら、
その合間を見てブログを書いているlionsblueです。
さて、今年は私にとって、色々なことがあった1年でした。
4月から業務場所が変わり、
8月にはブログのリーダーになり、投稿をお願いするたびに、
投稿者の方々から冷たい目で見られ、
10月には我が愛しの西武ライオンズが26年ぶりにBクラスへ転落し、
巨人ファンの上司からは、皮肉な巨人リーグ優勝のメール。
そして極めつけはクリスマスにインフルエンザと。
※ちなみにインフルエンザは私の中では、
ID:bussanとID:takaの怨念かと思っています(笑)
でも、まぁ、本当に色々とありましたが、
そのなかでも、今年はやっぱりテニスを久しぶりに始めたことですかね。
会社に入って4年。さしたる運動もせず、土日は部屋に籠り、パソコンが話し相手。
また、仕事が終わって、人から誘われれば飲みに行き、
いつしかお腹は内も外も膨れるばかり。
こんな不摂生な生活を”どげんかせんといかん”と思い、始めたテニスですが、
おかげさまで日曜日にテニスが出来る張り合いの下、
業務にも一生懸命取り組めたかと思います。
※いわゆる相乗効果ってやつですかね。
多分、これを見ているTAFSのお偉方は、
本業のほうはまだまだ全然足りないと思っているので、
来年は、本業でも一花咲かせたいなと思っています。
※勿論、趣味の範囲でテニスもがんばります。
来年はついに大殺界も抜けるし、
インフルエンザにかかって寂しいクリスマスを過ごすのではなく、
もっと幸せなクリスマスを過ごしたいと仮作している
lionsblueでした。
来年もTAFSともどもlionsblueもよろしくお願いします。
テレビ見てたら、えびちゃんよりももえちゃんがすごくかわいいと思えた
クリスマスイブを皆さんいかがお過ごしですか
こんな日にブログ書いてるenmaです。
最近、ゲーセンにあるサッカーゲームにはまっています
世の中、アウトドアよりもインドアですよ
と書いてると、社内で非難轟々になりそうです。
このサッカゲームは、今流行のトレーディングカードを用いた
オンラインカードゲームです。
カードは欧州で活躍する実在選手が書かれており
トータルで、延べ1000枚以上になります。
実は最近、ITバブル期の裏で苦境歩んできたゲーム会社にとっては
最近のカードゲームやオンラインゲームは、ゲーム業界の新しいビジネスモデルなのです。
インターネットをプラットホームしたネットワークゲームには
ひとつの作品に対して何度もバージョンアップや追加イベントを加えることにより
末永くユーザーにコンテンツを提供できます。
ただ提供する側にとってはバージョンアップでしかないので
開発コストは、メジャーバージョンアップ的なドラクエ2からドラクエ3になるような
大規模な開発フェーズを用意しなくても済むことにより
ランニングコスト的な部分はかかるにしてもユーザーが離れない限り安定した
収入を得ることが可能です。
逆にアーケード(ゲームセンター)を中心に次世代ビジネスモデルとして生まれたのが
トレーディングカードを使ったゲームです。
メジャーなところだと、ガンダムや三国志、野球なんかですかね
これは、コレクター的要素が強く、カードがほしいという欲求と、
そのカードをゲーム中で使えるという要素を複合して
飽きてしまったり、他のゲームへ移るのを極力緩和することが可能になってます。
たとえばサッカーなんかだと、実在選手を使えるならば
その選手のカードがほしいというのが普通というもの。
ウイニングイレブンのような実在選手がいる家庭的ゲームであれば初期コスト(ソフトを買う)を負担して
あとは自分で時間費やして頑張れば良いだけですが
アーケードだとカードを出すまでずっと金を払ってやり続けなければいけなく
だいたいレアカード(スター選手が書かれてる)が出る確率が1/35と言われているので
1枚出すのにざっと最低でも7000円近くかかってしまう計算
そうなると必然的にほしいカードといらないカードの需要と供給にあわせたトレード市場が生まれ
ネットオークションやカードショップを中心にカード売買が出来てきます。
そうなるとユーザーはある程度のお金を費やしてお金を支払ってカードを買うので
そのカードを使いたくてまたゲームをやっていくという循環が生まれていき
最終的には、このカードという要素を組み込んだだけで大きく収入性が高くなったというわけです。
そんなビジネスモデルとわかっていてもおもしろいものはおもしろいので
クリスマスだというがイブだろうがゲーセンに行く毎日なのです。
クリスマスが近づいて来ると、毎年、隣の町内の1軒のある家にサンタさんがやって来ます。
今年も、乗って来たそりは家の軒先に立て掛けて、また、トナカイさんは草を食んでいました。
トナカイさんとそりは子供用に見えますが、窮屈ではなかったでしょうか?
この家には大きく立派な煙突があり、サンタさんが道に迷わないで来れるようにと屋根と家の周りの壁一面には大小さまざまなライトが鮮やかな色彩でピカッピカッと一晩中点灯しています。
私がサンタさんを見つけた時には、すでに屋根を駆け上がり、煙突の突端の直下まで登りきっていました。
夜も遅い時間だったので、サンタさんが煙突から家に入るのを見届ける前に、私は家に帰ることにしました。
きっと、この家にはサンタさんを心待ちにしているお子さんが、大きなくつ下を枕元に置いてすやすやと寝息を立てて寝ていることでしょう。
◆ 12月18日のアルバム 『サンタさんが来る家にて』 ◆
500系のぞみが引退することが確定した。
初めて走る姿を見たときには身震いしたのを覚えている。
デザインはその後登場した700系やN700系(かものはし)にはない斬新なものだった。
これが21世紀の乗り物なんだぞといわんばかりだった。
しかし如何せん未来を先取りしすぎていたため、
正直客室空間の居住性はあまりよくなかった。
なめらかなロングノーズは空気抵抗を減らすためのものだが、
その影響で先頭車の客室は他の新幹線に比べて短い上、前方扉もない。
300系や700系のぞみと座席数が違うので、ダイヤが乱れた場合の運用が難しい。
振動や騒音(VVVFのインバーター音など)が700系に比べると激しい。
東海道区間では線形の関係から自慢の最高速度300kmが出せない。
車輌が丸みを帯びている性質上、特に窓側席が狭く圧迫感がある。
などなど特にビジネス客に不評で、ついに来春運用離脱となったわけだ。
のぞみからの引退後は、山陽でこだまに転用されるという。
その際16輌では余剰となるので、中間車はカットして8輌編成にしたうえで、
残りは廃車となるそうだ。新造からわずか10年で。
(新造時1輌の価格は約3億円・・)
こちらは鉄道模型の500系。
博多寄り1号車と2号車だけを取り出してみた。
基本セットと増結セットを同時購入して16輌編成全て揃っている。
無論中間車を廃車にするつもりは毛頭ないし、
むしろ16輌以外の編成で走らせたくないくらいだ。
しかし16輌もあると線路の敷設や車輌設置に時間がかかって大変だ。
暇な人は16輌フルセットでどれくらいの長さになるか割り算してみてほしい。
本物の新幹線の全長は400m、鉄道模型の縮尺は160分の一だ。
家の中で走らせるにはちょっと厳しい長さなのは間違いない。
というわけで、
今度の連休に500系のお別れ運転会を開催することに急遽決定!
仲間たちと八■子N広場というお店で。
500系以外にも大量の鉄道模型を持ち込んで、1日中ぐるぐる走らせる。
た・ま・ら・ん〜!かっちょいい!!
あ、運転業務で平日よりずっと忙しくなるので、
会社のイメージ壊すカキコはやめろとかいう苦情・クレームの一切は
連休中はlionsblue氏が引き受けてくださいますから!
クリスマスにおまいは一体何をやってるんだというつっこみも
この際なしでよろしくね。
あの壷をキシリア様に・・・。
あれは、いいものだぁ〜〜
・・・・
はい。ぶっさんです。
内輪ネタで申し訳ないですが、このスタッフブログは3ヶ月で担当が替わるハズなのですが、
雨にぬれた捨て猫のような目をした id:lionsblue氏に
首にナイフを当てられて「これからもお願いします」といわれてしまい、
また3ヶ月続けることになりますた。
タフス、オソロシヤ((((;゜д゜))))
さて、いわゆるIT業界、イヤでもパソコンを使わなきゃいけないわけで、
しかも、ノートPCの小さい画面とか、ノートPCの小さい画面だったり、
ノートPCの小さい画面だとか
やってることも、UNIXのコマンド叩いてみたりエクセルで数字とにらめっこだったり、
インターネットで閲覧制限画面出してびっくらこいてみたりと
んっ、コホコホ・・とにかく、目を酷使しているわけで。
エンジニアの三大疾病 眼精疲労、肩こり、腰痛 とまで言われているわけで
そんな私も例外に漏れず、月、火と無駄にノートPCの画面を見てると
もう水曜日には目がシパシパして朝目が開かなかったりしていて(←眠いだけとか言わない)
阿藤海改め、阿藤快ばりに「なんだかなぁ〜」と思っていたわけで。
ビタミン剤のサプリメントと、蒸しタオルとかで目を労わっていたんですが
最近便利なものが発売されたのでちょっと試してみた。
蒸気でほっとアイマスク
いや、これが思ったよりもいいんですよ、奥さん。
使い捨てタイプなので、間違ってレンジでタオル蒸しすぎてアチッてならないし。
そのままつけてていつの間にかzzz・・・となるんですよ。
いや、これはマジお勧め。
自分はヴァンフォーレ甲府のサポーターです。
このたびめでたく2年間のJ1留学を無事終了しJ2に帰国したチームです。
断じて「降格」ではありません。
先週浦和レッズが世界クラブ選手権で3位になったようですが
われらが甲府サポーターにはまったく別次元の話です。
もう今となっては過去の話ですが
甲府が「Jリーグのお荷物」と民放のサッカー番組に言われながらも
何とかチームを存続させ、
2年前にはJ1へ昇格してしまったのですから
なせばなる、と思ってしまいます。
昔のヴァンフォーレ甲府の魅力といえばなんといっても
地元のテレビ局からとられた
YBS
弱い、貧乏、しょーもない
ネガティブ要素満載のキャッチコピーが
すべてを物語るように
Mな人々の心を掴んで離さないチーム状態にあります。
具体例を挙げれば
Y:弱い
Jリーグの連敗記録を作る。
当然試合は、がら空きで自分が見に行った試合では
「311人入場」と無機質に電光掲示板に表示されていました。
B:貧乏
中心選手がファン感謝デーに
軽トラックで登場し子供に同情される。
S:しょーもない
山梨出身の中田ヒデが引退を撤回し
甲府のキャプテンとなってくれる、という
根も葉もない噂が一時期ほんとに信じられていた。
いかがでしょう?
皆さんも甲府サポーターになりませんか?
府中市民農業大学「そばコース」は8月25日の種まきから始まりましたが、12月1日の収穫祭を以ってめでたく終了しました。
そもそも、今回の「そばコース」に参加するきっかけは7月上旬に募集案内があった『広報ふちゅう 市民農業大学「そばコース」受講生募集』の記事を見つけたことでした。
私は山形県のさくらんぼで有名な地方の出身ですが、これまでに農作業の経験はありませんでした。
町田に住んでいる同年代の友人は自宅近くの地主さんから畑を借り仲間達ときゅうり、茄子、枝豆などを栽培していると聞き、私も機会があればやってみたいなあと思ったこともありました。
今年の夏は特に暑く、第1回と種まきと第2回の土寄せ・除草と間引きの時は、何をどうすれば良いかの勝っても分らず、ただ、畑の中に立っているだけでも、大玉の汗がぼたぼたとしたたり落ちていました。
そば畑は自転車での通勤経路の途中にあることが幸いし、毎日の成長を見るのが日課となり、また、小さな楽しみにもなっていました。
遠くから眺めたり、畑まで降りて花を間近で見たり、写真を撮ったりとしました。
今年のそばの出来は「やや不作(?)で20kg」で、昨年は今年よりも狭い畑でのそば栽培でしたが収穫量は「もっと多かった」とのことでした。
さて、収穫祭では「そば打ち実演」、「そばがき作り実演」、「匠の技・薬味切り」の実演と解説がありましたが、まさに職人技のオンパレートでした。
この後に、参加者全員が8月下旬の種まきの時から待ち望んでいた「試食会」に移りました。
揚げそば、そばがき(ずんだ、きのこのあんかけ)、せいろそばの3種類を麺類協同組合に加盟している府中市内のおそば屋さん達が料理して下さいました。
せいろそばは、少し緑かかった色で香りも良くすごく美味しかったです、私は2皿食べましたが、一緒に参加したア○谷君は3皿をペロッを平らげていました。
「そばコース」で収穫した量では全く足りないらしく、足りない分は麺類協同組合の方で準備していただいと説明がありました。 本当に麺類協同組合の方には感謝、感謝、感謝の気持ちで一杯です。
来年も「そばコース」を開催すると収穫祭で市民農業大学学長の野口市長のことばがありましたので、来年は2年生として是非参加したいと考えています。
【そばコースの日程】
第1回 8月25日 種まき
第2回 9月 8日 土寄せ・除草と間引き(1)
第3回 9月15日 土寄せ・除草と間引き(2)
第4回 10月 6日 お花見会
第5回 11月10日 収穫(脱穀は府中市用水組合の方々で)
第6回 12月 1日 収穫祭(コース終了式を兼ねる)
※私は9月8日(土)は会社の用事で途中早退しましたが、無事、皆勤賞でした。
◆ 12月1日のアルバム 『そば収穫祭会場にて』 ◆
こんにちは、ski です。
今回は、府中多摩川ハーフマラソンの感想を書こうと思います。
(前回のブログでは、結果は書かないと書きましたが、
きっと覚えている人はいないと思うので。。。)
11月23日に(もう3週間も前の話なんですが)、ハーフマラソンに参加しました。
takeken さんと参加ということで、わきあいあいとした雰囲気でスタートラインへ。
かなりリラックスして挑めました。ありがとう、takekenさん。
しかし、マラソンは勝負なので、スタートラインを越えたら負けられない
気持ちで走りました。
気持ちよく走れたのは、最初の10キロまででした。残り10キロちょいは、
大変でした。体力は十分あったのですが、足が重くて動かない・・・。
ほとんどのマラソンコースはアスファルトだと思うのですが、
硬くて走るのが痛い。
幸いコースの脇道が土になっていたので、その上を後半は走りました。
(田舎もんの私には砂利道や、土の上で走るほうが合っているようです)
こういう時に、走りこんでるか、走りこんでないかの差が出るんでしょうね。
よくアスファルトの上をみんな平気で走れるなあ、と思い、脇道から
沢山の追い抜いていく人たちの後姿を見送りました。
でまあ、完走となったわけですが、記録は予想どおりだったので
よかったです。
この調子で、来年こそはフルマラソン自己記録更新を目指します!!
(あれから、寒いとか色々理由をつけて運動してないのですが・・・
ウェアも揃えないといけませんね)
それでは皆さん、来年も怪我のないよいお年を。