神社とお寺の街
府中の駅周辺の街を歩いていると「神社」と「お寺」が多いことに気がつきます。
特に、府中駅南口を出て馬場大門けやき並木通りを2〜3分歩くと大国魂神社の大鳥居前に出ますが、ここを中心に半径500m圏内に集中しています。
この辺一帯の町名は宮町と宮西町=宮(神社のこと)を表すところ、八幡町=国府八幡宮があるところと「神社」と「お寺」に纏わる地名で、室町幕府の足利尊、源義経・弁慶、徳川家康など歴史上欠かすことができない人物と縁があったり、また、伝説が伝えられるお寺などがあります。
最近は駅周辺でも再開発が進み、また、大規模なマンションが数多く建設され昔の面影がだんだんと少なくなってきていますが、一昔前までは「神社」や「お寺」に関係のある人が多く住んでいたり、大国魂神社でのくらやみ祭り、節分祭り、すもも祭り、栗祭りなどの年中行事を生活の一部として暮らしていたのでしょうか。
歴史を感じ取ることができる街並みが今も残っており、お参りに訪れる人、名所・旧跡を訪ねる人で賑わっています。
●高安寺
14世紀半ば、室町幕府の将軍足利尊氏が安国利生の寺として再興した曹洞宗の名刹です。
高安寺には源義経と武蔵坊弁慶がこの地に居住した折に大般若経を書き写すために、境内の片隅にある井戸の水で墨をすったという伝説があり「弁慶硯の井」と呼ばれる古井戸跡が今も残っている。
また、本堂・山門・鐘楼・観音堂は東京都選定歴史的建造物に指定されている。
●国府八幡宮
聖武天皇(在位724〜749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えれれる古社で、町名の八幡町という地名の由来ともなっている。
今もうっそうとした林が神社を取り囲み、荘厳な雰囲気をかもしだしている。
●妙光寺
貞観元年(859)眞如法親王の開山と伝えられている真言宗の名刹で、戦国時代には八王子城主の北上氏照も帰依し、氏照から寺に宛てられた2通の礼状が残っている。 また、徳川家康からは御朱印地15石を寄進されるなど、時の有力者の信仰あつい寺であったようです(大国魂神社は家康より社領500石を寄進されている)。
●安養寺
貞観元年(859)磁寛大師の開山と伝えられている天台宗の名刹で、「化狸ものがたり」の伝説が伝えられている。
また、場所は妙光寺に隣接している。
●高札場(こうさつば)
高札場は江戸時代、幕府から御法度、掟書、犯罪人の罪状などを一般庶民に通達する方法として、板に書き示して沿道沿いの宿場や橋のたもとなど人目に付きやすい場所に掲げたものを「高札」といい、これを掲げた場所が高札場です。
この隣には、大国魂神社の例大祭(くらやみ祭)のとき、八基のお神輿が渡御するお旅所があります。
●新田義貞公之像
鎌倉に向かい馬上で太刀を振りかざした新田義貞の像で、精悍な面構えで戦に命を懸けた夢と情熱が伝わってきます。
元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府の興亡をかけ、新田義貞と北条康家が火花を散らした「分倍河原の合戦」の舞台となった分倍河原の駅南側広場に昭和63年(1988)に設置された。
三千人塚は「分倍河原の合戦」の戦死者3千人を埋葬した塚といわれている。